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直江津八坂神社
八坂神社(祇園社)について
直江津の八坂神社は、その昔は「今町祇園社」と呼ばれていました。
京都の八坂神社の流れをくみ、聖武天皇の「国分寺建立の詔」により各地に造られた「国府」の地に分祀された神社であるとされています。
元禄2年(1689年)に諏訪社(直江の津産土神・948年鎮座)を、文化年中(1803年ころ)に日吉社(1028年ころ鎮座)を合祀し、昭和3年(1928年)に八坂神社と称しました。
現在の本殿は享保6年(1721年)に再建されたもので、拝殿は天保14年(1843年)に十数年の年月をかけて完成したとされています。記録によると、拝殿を手掛けたのは今町(直江津)の「增五郎」「作兵衛」の2人の棟梁が、彫刻は同じく今町の彫刻師「富吉」の作と言われています。
御祭神
八坂祇園社 | 須佐之男尊(すさのおのみこと) 神仏習合では牛頭天王(ごずてんのう)とされ、武勇の神、商売繁盛の神 |
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神大市比売(かむおおいちひめ) 大市姫命(おおいちひめのみこと)とも。須佐之男尊の妃・農耕の神・食糧の神 八王子(はちおうじ) 須佐之男尊と天照大神との8人の子 |
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諏訪社 | 建御名方命(たけみなかたのみこと) 大国主命と奴奈川姫命の子、信濃国諏訪大神、直江津の産土神 |
日吉社 | 大山咋命(おおやまくひのみこと) 砂山村(現在の御幸町)の産土神、山王権現として勧請 |
神輿殿
境内には、神輿を納める神輿殿があります。
末社
参道の様子
参道は約100mあり、御饌米奉納では直江津の若衆が米俵を担いで、参道を一気に走り抜けます。