地区連日記

「日本百名橋」の直江津橋

2013/09/04

皆さん安寿と厨子王の物語をご存じでしょうか
 
上越市を流れる一級河川関川の河口付近に位置する直江津が、この物語の舞台の一つとなっています
 
現在では、関川には河口から荒川橋、直江津橋、JR信越本線の鉄道橋が架けられていますが、物語中の応化の橋は今はありません
 
直江津橋には、高欄に物語のレリーフがはめ込まれており、当時の応化の橋を思い起こさせます
 

その歴史ある直江津橋は、新潟県では萬代橋とともに「日本百名橋」に選定されています310914.gif
 
安寿と厨子王の物語は、昔は謡曲「婆相天」、近松門左衛門作の浄瑠璃、近年では森鴎外の「山椒大夫」などによって知られています
 

陥れられて筑後(九州)へ追放となった奥州陸奥国の大守、岩城判官正氏のあとを追って旅立った妻は、安寿姫と厨子王丸の二子を連れて岩城(福島)からはるばると父を尋ねて行く途中、直江津の応化の橋の袂で山岡大夫にだまされ、妻は佐渡へ、安寿姫と厨子王丸の姉弟は丹後の国(京都府北部)の山椒大夫へ売られてしまいます。 

 姉弟は残忍な山椒大夫に酷使されながら逃亡の機会を見つけましたが、弟を逃がすために安寿姫はつかまって殺されてしまいます。無事のがれた厨子王丸は後に京に出て養子となり、やがて父の罪も許されて、丹後・越後・佐渡領域をいただきます。そして丹後におもむき、山椒大夫を死罪にした厨子王丸は、佐渡に旅立ち、母を訪ね歩きます。道端で鳥追いの老女の唄を聴き、盲目となった母との再会を果たします
 

昔、直江津橋の付近に、おうげの橋(漢字表記は、応化、往下、逢岐、王源などある)があり、上杉謙信は、この橋に通行税を課していました。御館の乱でくずれ落ちた橋を景勝が修復しましたが、松平忠輝の高田築城と共にこの橋は壊され渡しのみとなりました。以降、明治5年(1872)まで橋は架けられませんでした
 
 
現在の橋は、JR直江津駅北口を出て、約700mという近さに「直江津橋」があります
 
直江津橋から下流を望むと荒川橋と関川河口が、上流を望むと近年信越トレイルが人気の関田山脈を眺望することが出来ます

 
皆さん「日本百名橋」の直江津橋を歩いてみましょう310401.gif
 
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